皆様こんにちは。
秋の気配が強まる中、朝・夕がめっきり寒くなってきましたね。今年は新型コロナウィルス感染予防で手洗い、うがいが習慣化されたせいか、風邪の薬が売れないとニュースで聞きました。良いことですね。
さて、9月に初回「sanaの会」を開催し、お子様を亡くされたお母さん方の貴重なお話を聞くことができました。
その内容を少しご紹介したいと思います。
あるお母さんがこんな話をしてくれました。
「子どもが亡くなった時から、時が止まったままなんです。あの子はずっと〇歳のままです。きょうだいを見るとどうしてこの子達だけ大きくなっていくんだろう。って不思議な感覚に捕らわれるんです。私はおかしいのかなって不安でした。」
また、あるお母さんは「亡くなった子どもが急変した場所の近くを通ると、息ができなくなるんです。あの時のことが蘇ってきて。近づけないです。近づきたくない。」
人は大切な人を亡くした時、喪失悲嘆を経験します。今までいた人がいなくなることで、ぽっかり穴が開いた様だと言う人がいます。しかし、子どもを亡くした方の喪失悲嘆は、それとはまた少し違った悲嘆だと考えています。
もっと深い喪失感と、例えば自分の一部を切り取られたような痛みを伴う悲しみが混在していると考えています。
人が感じる悲しみは、時として痛みに代わることがあります。人は傷がつくことで痛みを感じますが、目に見えない傷が心につくことで痛みを感じるのです。この痛みを私たちは、スピリチュアルペインと呼びます。このスピリチュアルペインの中には、複雑な痛みも含まれていると考えています。例えば痛みによって人の感覚を麻痺させてしまうような、そんな痛みであると感じています。
皆さんは火傷をご存じだと思います。火傷はその傷が浅いほど痛みを感じますが、火傷の傷が深くなるほど痛みはなくなります。その深さゆえ、神経が傷つき麻痺してしまうのですね。子どもを亡くした悲しみもまた、そんな感覚に似ているように感じています。例えがあまり適切ではないでしょうか?参加されたお母様方に叱られそうですが・・・・。
この痛みがいつか癒され、生前築いていた関係性とは違った、故人としての新たな関係性が築いていけるように、「sanaの会」は今後も活動を続けていきたいと思っております。
つくば国際大学 塙恵子