皆さんこんにちは。
11月に入り少しづつ朝夕の寒さが厳しくなってきましたね。
今年もあとわずかになってきましたが、皆様はお変わりないでしょうか。
この写真の花は、カミツレの花です。花言葉は「苦難の中の力」。
こんなに可憐で、はかない花でも、その花言葉には強い意味があるのですね。
さて今日は「話しをする」ということについて、私の恩師でもある武蔵野大学教授 小西達也先生のお話を交えながら書いていきたいと思います。小西先生は、ハーバード大学大学院を修了されて「チャプレン」として、緩和ケア病棟で患者さん心のケアや東日本大震災での遺族への心のケアを行ってきた方です。チャプレンというと馴染みのない言葉ですが、わが国でも近年では、緩和ケア病棟などにこのチャプレンが常勤されている病院が増えています。
アメリカをはじめ欧米ではキリスト教徒が多く、日曜日の礼拝などは広く日本でも知られていますね。この時教会で人々に聖書についてお話をする神父さんや牧師さんをご存じだと思います。ちなみに神父と牧師の違いは、カトリックかプロテスタントかの違いによるものですが、カトリックが神父と呼ばれています。話がそれましたが、そのチャプレンとは、病床で教会に行けない人々の元へ出向いて、聖書について話をしたり病床の人々あるいはそのご家族への心のケアを行うことを仕事としています。
チャプレンの仕事の中心に「傾聴」と言う言葉があります。傾聴とは人の話を聞くことだけではありません。「チャプレンがお話を聴いていくということは、死を前にした患者さんの心の声を聴きながら、その方が現実と向き合っていくお手伝いをすることです。死を受け入れ安らかな時間を過ごすことができる手助けができるように、チャプレンはじっくりと患者さんの心の声に耳を傾けるのです。心を無にして全身で話を聞くこと、それこそが傾聴なのです。」と小西先生は傾聴の意味を教えてくれました。
人が話し、その話しに心を傾けること、この当たり前でシンプルな関係が、実はとても大切で心を癒してくれる特効薬なのです。苦しい胸の内を人に話し、その話しを共感することで、どれほどその人の心が軽くなるか知れません。恩師のようになるにはまだまだですが、この「sanaの会」での私の役割は「傾聴」であると考えています。
アメリカの臨床心理学者J.W.ウォーデンは、「子どもを亡くした親が最もしたくないことは、その子どもの話をすることだと、子どもを亡くした経験のない人は思いっている。しかし、まさにその子どもの話をすることこそ、多くの両親が最もしたいことなのである。」と述べています。話しをすること、その作業はシンプルでいて実はとても大変な作業ですね。どこまで話をしたら良いのか、どう話をすれば良いのか考えながら人は話をしていきます。私は話す過程で起こる、この考えると言う作業が、自分の悲しみをまとめながら消化していくのだと考えています。自分が話した言葉を自分の耳で聞きとることで「ああ、自分はこんな思いでいたのだな。こんな風に思っていたんだな。」と改めて自分の悲しみや思いを考え直すことができるのだと思うのです。そうして話をしていく内に、自分を支配していた悲しみや苦しみから少しずつ開放されていくのだと思っています。そしてまた、誰かの思いに共感しながら話すことで、同じ人がいる事実に安心感を感じるのだと思うのです。このカミツレの花言葉のように、苦難の中にあっても、一人ではないことを知ることで、生きる力になるのだと思います。
つくば国際大学 塙恵子