皆さんこんにちは。
今年は寒暖の差が激しいせいか、銀杏の黄色がとても鮮やかになってきましたね。茨城県でも少しずつ紅葉が色付きはじめました。
さて、今日は私が看護師としてNICUで勤務していた時のお話をしたいと思います。
NICUは、新生児集中治療病棟になります。1000g以下の赤ちゃんや重症の新生児を治療している病棟になります。
あるご夫婦は長い間子宝に恵まれず、不妊治療を行ってやっと第1子を授かりました。しかし、先天的な病気が胎児期に見つかり
産まれても余命が保証できない状況でした。私は子どもが生まれる前からご両親と関わらせていただき、数回の面会を行いました。
産まれてきてもすぐに亡くなってしまう可能性が高い現実を、ご両親はしっかりと受け止めているようでした。
出産後、赤ちゃんはNICUに入院し、数日でその小さな人生を閉じました。その時ご両親は、「私たちのところへ生まれてきてくれてありがとう」と言っておられたことが印象に残っています。たった数日の人生でしたが、ご両親にとっては、かけがえのないの数日間だったのだと思います。
ある神父さまが「子どもは親を選べない、親も子どもを選べないと言いますが、実は神様がこの子なら、この親ならこの運命にも耐えられるだろうと考えて産まれてくる先を選ぶのです。親も子も神様に選ばれているのですよ。」と言っていたことを思い出しました。小さな命は、神様によって選ばれた人のもとへやってくるのですね。たった数日間でも、母と子、父と子として生きた記憶を、その子どもの生涯をかけて、かけがえのない思い出として両親へ残して旅立っていったのでしょう。神様はきっと「よく頑張りましたね。」と言って、その御手に旅立った小さな命を受け止めてくれるのでしょう。
「生まれてすぐに死んでしまうなんて、生まれてきた意味があるのですか?」という人もいます。生まれたこと、生きたことに意味があるとすれば、それは生きた長さではなく、生きたという証なのだと思うのです。確かに生きていたという証。それだけで十分なのだと思うのです。例え短く小さな命であっても、ご両親にとっては確かにあった命なのです。その小さな命に意味を見出す必要があるのでしょうか?神様はきっと、人の命に意味を与えたことはないのだと思います。誰もが等しく限りある1つの命を授かる。それはその意味を見出すことではありません。長くも短くも、ただひたむきに生きて与えられた命を全うし、確かに生きた証として愛する人の心の中にあればそれで良いのだと思うのです。
つくば国際大学 塙恵子