第2回 sanaの会を開催しました

 冬の寒さが本格的に到来してきた今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて、12月6日(日)に、第2回 sanaの会を開催いたしました。今回の参加者は4名でした。

この中でお父様の参加が1名あり、大変貴重なご意見を伺うことができました。このようなセルフ・ヘルス・ケアはそのほとんどが母親の参加で占めているため、なかなか父親が参加することがないですが、今回を機にお父様の参加を期待したいと思います。

 元来母性と父性は違っていると思われています。そのため子どもを亡くされた母親の方が悲しみは深いと言われています。でも、同じお子さんを亡くされたことに違いはありませんね。その悲しみの深さは、ある意味母親よりも強いことがあります。

 我が国では父親の存在は、一家の大黒柱としての意味合いが強くなります。その大黒柱が悲しみに暮れていられない、泣けない、愚痴が言えない、そして何よりも強い父親でなければならないという社会的な父親像が存在します。これら「あるべき姿・こうあるべきこと」をビリーフ(信念)といいます。このビリーフについては、また後程お話をしたいと思います。簡単に言えば「こうあるべきだ」と思う姿ですね。皆さんは「こうあるべきだ」と考えたことはないですか?

私の恩師である武蔵野大学教授 小西先生はこのビリーフからの自由が大切だとおしゃいます。ビリーフからの自由、つまり「こうあるべき」から自由になること、ということになります。父親はこうあるべきだ、母親はこうあるべきだ、妻は、夫は、親はこうあるべきという「社会一般的なあるべき姿」から自由になることが大切なのだと思うのです。

 今回参加してくれたお父様は、毎日、一番星がでると亡くなったお子様と思って話しかけているそうです。流れ星をみるとお子様が返事をしてくれていると感じるそうです。子どもを亡くした気持ちは、東日本大震災で被災された方々と同じような衝撃を感じていると言っておられました。私は、子どもを亡くすということは災害で被災された方々と同じような心理状況になると考えています。しかし、今まで母親からこのような発言を聞いたことがありませんでした。もしかすると、このような心理状況には、母親よりもむしろ父親の方が陥りやすいのかもしれません。

「何も悪いことをしていないのに、どうして私だけが、どうして私の子どもだけが」と繰り返しおしゃられていました。

それだけ深い悲しみがあるということなのでしょうね。

会の最後に参加された感想をお聞きすると、「少しだけ気持ちが軽くなった」とおしゃられていました。

子どもを亡くした親の会は、母親だけに有効なわけではありません。父親にとっても有効なのです。

sanaの会は、お父様の参加も歓迎いたします。多くの方に参加頂けることを心より願っております。

次回は、新型コロナウィルス感染拡大の状況を見ながら、春ごろにセミナーを開催したいと思います。

詳しくはHP・お知らせをご覧ください。一般の方でも参加ご希望の方は、HPよりお申込みください。

 

                                 つくば国際大学  塙恵子