祈りの心

皆さんこんにちは。

2021年に入り、寒さの厳しさは変わりませんが、少しずつ日が延びてきたように感じる

今日この頃ですね。この花は春を代表する「フリージア」の花です。黄色いフリージアの花言葉は「無邪気」という意味があるそうです。無邪気な子ども達の笑顔と笑い声の様に、春はもうすぐそこに来ているように感じます。

さて今日は、「おかれた場所で咲きなさい」という本にかかれている言葉について書いていきたいと思います。この本は、ノートルダム清心女子大学学長、理事長をされた故渡辺

和子の書籍で、とても有名な本です。読みやすい本でもあります。

この本の中で聖書の一説が紹介されています。「神は決して、あなたの力に余る試練を与えない。」というものです。

渡辺は「人間が生きている限り、多くの悩みから逃れることはできません。その悩みは大小さまざま。時が癒してくれるものもあれば、どんどん大きくなるものもあるかも知れない。それでも人は生きていかなくてはなりません。絶望の中にも一筋の光を探しながら、明日を生きていかなければなりません。」と言って、この聖書の言葉を引用しています。

愛する者を亡くした方は、その悲しみと苦しみから、多分一生逃れることはできません。しかし例え辛く厳しい試練であっても、あなたは乗り越えられる力を持っているのですよ。と聖書は教えています。そして今日を生き、明日も生きてゆきなさい。と神は語りかけているのです。私は敬虔なキリスト教徒でも仏教徒でもありません。しかし、古来より神を信じ信仰がある限り宗教を問わず、人々にとって神の存在が心の拠り所であることに間違いはありません。

前回のブログで書いたV.E.フランクルは、体験したアウシュヴィッツ収容所の生活の中で、「死」しかない絶望の中で唯一の希望の光は、神への信仰であった。と書いています。

「sanaの会」に参加された方がこう言っておられました。

「この子を助けてくれるならどんなことでもします、と神様にお願いしたけど神様にお願いを聞いてもらえなかった。神様は信じません。この世には神も仏もいません。」

大切なお子様を亡くされた方はそう言います。それも正しいと思います。私の言葉はだいぶ矛盾するなと思うかもしれませんね。

この世には、何が正しいかなど決めるものは存在しないと思うのです。人が正しいと思うことは人が考えた「概念」にすぎません。

その人がそう思うのならそれで良いのだと思うのです。ただ1つだけ、身体を亡くした小さな魂が、どこにも行けずにこの世をさまよっているのだとすると悲しすぎるのではないでしょうか?この世に戻ることもできない幼子の魂が誰かを求めて泣いているのであれば、せめて、神の御胸に抱かれて安心して眠ることができるように、神に祈ることも大切なことなのではないかと思うのです。

                                つくば国際大学   塙 恵子