皆さまこんにちは。
朝夕がだいぶ寒くなってきませしたね。これから風邪の季節になりますので、お気をつけてください。今年はインフルエンザが流行するのではないかと言われておりますので、予防接種が必要かもしれませんね。
私は11月から病院実習になりますので、11月はブログ更新は出来ないかと思います。その分少し書いていきたいと思います。
さて、今日はこの写真の女性について書きたいと思います。
だれ?と思う方が殆どだと思います。
この写真の方は、ヴァージニア・ヘンダーソンという看護学理論の研究者になります。 看護学の世界ではとても有名な先生です。
私はこの方を密かに(密かにしなくても良いのですが)心の師と尊敬しています。
ヘンダーソンの理論は、ナイチンゲールの「看護覚え書き」を基に作られたものになります。看護学を学ぶ学生は初めにこの理論を学びます。この「看護の基本となるもの」の中で私が好きな言葉があります。それは、「患者の皮膚の内側に入り込む」と言う言葉です。患者の考えていること、感じていること、心の動き、欲していること、痛み、苦しみ、悲しみ、楽しみ、喜び、果ては魂までも理解する。まるで患者の皮膚の内側にまで入り込むように、相手を理解して傾聴する。それができる看護師は最も優れてると書かれています。
ヘンダーソンは患者さんの立場に立つだけでなく、患者さんの中に入り込こむように、しっかり患者さんと向き合い、患者さん本来の姿を理解する努力をしなさいと言っているのだと私は解釈しています。この考え方は患者さんに限ったことではないと私は思います。誰かを理解すること全てにおいて当てはまるのではないかと感じています。
例えば、Sanaの会で誰かが話す、子どもを亡くした時の悲しみは、皆さんの心の中で同じ思いとしてその悲しみを共鳴することになります。この共鳴が、まるでその人の皮膚の内側に入り込んだかのように、その悲しみを理解し、納得されて、胸の奥に落とし込むのだと私は考えています。言い換えれば「腑に落ちる」ということだと思います。
同じ思いを共有しておられる方々は、ある意味良き傾聴者でもあると私は感じています。自分で経験した分、同じ経験をした相手を深く理解することが容易になるのですね。それはつまり、相手が鏡となって自分のことを映し出していることになるのです。同じような誰かの悲しみに触れることは、自分の悲しみを理解して、その悲しみとどう付き合っていくかを考えていくことに繋がっているのだと私思います。
次回は「共鳴」について書いていきたいと思います。
つくば国際大学 塙恵子