共感と共鳴

みな様 こんにちは。

朝夕の寒さが厳しく感じますが、みな様お変わりはないでしょうか。

昨日は「Sanaの会」を開催し、3名のお父様、お母様方のご参加を頂きました。

新しい方もご参加頂き、話し合いを行うことができました。少しずつゆっくりとみな様とのかかわりの中で

心が軽くなるお手伝いができればと考えれおります。

さて、今回は共感と共鳴というお話を書いていこうと思います。

これは、私が大学院1年生の時の課題で、担当教授の名前は忘れてしましましたが、共感と共鳴の違いについてのレポートだったと記憶しております。人の記憶とは都築曖昧なもので、強い印象だけが記憶に残るものなのでしょうか。

ある本にこんなことが書いてありました。「人間は寝ているときの深い睡眠の中で、その日体験した嫌な記憶を消していく。」というのです。深く眠れない時には、嫌な記憶が消されずストレスとなってしまうのかもしれませんね。でもその時の担当教授が嫌な方だったわけではありません。誤解なきように書いておきたいと思います。

横道にそれてしまいましたが、広辞苑によりますと共感とは「他人の体験する感情や心的状態あるいは主張などを自分も同じように感じたり同感すること。」とあります。また共鳴とは「他人の思想や意見に同感(同じ考え)の念を起こすこと。物理的には外部からの刺激で固有振動を始めること。」と書かれています。

つまり共鳴は、誰かの言葉に胸を震わせ同感することで、時に自分の考えに大きな影響を与える力となるということです。

それが思想と呼ばれるものになるのでしょう。

それに対して共感は、誰かの同じような体験に、自分も同じ思いを感じることを意味します。

 全国で行われているグリーフケアは様々なものがあります。その主催者が考えるプログラムは多種多様です。

現在では、グリーフカウンセラーなる方もおり、葬儀社と提携して行事ごとにカウンセリングを行う業者も出ています。

人は悲しみや苦しみを感じた時、その苦しみの中から抜け出す方法を模索します。心が弱っていればいるほどその思いは強くなるのだと思います。どうして自分がこんな目に合うのか。これからどうしたらよいのか。その答えを求めているのですね。こんな時、様々な専門家が発する言葉は、答えを探す方にとって強く心に共鳴します。そこに答えがあったと思い込んでしまうのですね。  しかし、果たしてその共鳴によって感じた想いや考えは、ご自身が望んだ本当の答えになるのでしょうか?

 何が正解なのかはわかりませんが、私は、誰かの言葉に共鳴するのではなく、誰かと同じ悲しみに共感することが最も効果的なグリーフケアであると考えています。同じ悲しみを共有し共感することが心を軽くしてくれる近道なのだと思うのです。

強要も矯正もせず、考え方に影響も与えない、ただ心で共感し、共に悲しみ、共に泣き、答えを求めないことが、大切な人との死別を体験した方々への悲嘆ケアなのだと思うのです。死別による喪失悲嘆(失ったことによる喪失感)は、短時間で解決できるものではありませんね。ゆっくりと時間をかけてご自身が解決していくものなのです。

 死別悲嘆は、その死を乗り越えたという思いと、再び感じる喪失の悲しみを幾度となく繰り返します。それを「ゆらぎ」といいますが、そのゆらぎの中でいつの日か、ご自身が新たな役割を見つけていくことになるのだと思います。

                                    つくば国際大学  塙恵子