ある母親の語り

皆さま こんにちは。

昨日は「エンゼルクラス」を開催しましたが、残念ながら参加者がお一人もおらず、内原市民センターの桜を鑑賞して帰ってきました。今がちょうど見ごろですね。

先日土浦にある私が通っている大学の交流センターで会の開催ができないか事務局と相談しましたが、夏休みや冬休みなど学生がいない時期に貸し出されるとのことでした。

ですので、6月は通常通り内原市民センターで開催し、8月はつくば国際大学交流センターを使用したいと思います。

できるだけ毎月初旬ごろには、ブログの更新をしたいと思います。

さて、今回はある大学の研究論文に書かれていた内容を書いていきたいと思います。

小学生の息子さんを亡くされたお母さんの語りです。

小学生の息子さんは、運動会の日に「頭が痛い」と訴え救急車で病院に搬送されましたが、10か月間意識不明で呼吸器に繋がれたまま息を引き取ったという経緯でした。このお母さんは、息子さんが亡くなって病院から自宅に帰った後も、10か月間息子さんと生活した病室の中に今も心が留まり続け、病院に入院する前の生活に帰ることができない一例でした。

病院に入院する以前の息子さんとの生活や、楽しい思い出を振り返ることができない原因の一つに「息子さんへの罪悪感」がありました。息子さんをこんな姿してしまった自分に対する苦痛と罪の深さを感じているのですね。自分だけ楽しい思い出に浸ることが許されないそんな気持ちだったのか、心に余裕がない状態だったのか、少なくとも自分が許せない状況だったことに間違いはないでしょう。

誰しも自分より先に、子供が天国へ旅立つことなど考えもしません。例え不治の病と宣告されても、その事実を受け入れられない、まるで他人の話を聞いているようだと言われることがあります。そしてどんなことをしてでも生きていてほしいと願うのが一般的だと言えます。

しかしこのお母さんは、変わり果てていく自分の息子の様子を見て、ただ苦痛を味合わせているとしか思えなかったそうです。そうさせている自分が何と罪深いのかと感じていたのですね。このお母さんは入院生活をこう振り返っています。毎日息子を見ている苦痛と幾重にも重なる罪悪感の10か月だったと。きれいな姿の息子が本当の息子。日々の経過の中で身体がむちゃくちゃにされていく。もはや自分の知っている息子ではない、まるで違う人のように見える。やがてそういう言葉に置き換わっていきます。

この研究をまとめた方は、こう綴っています。

苦痛を伴う医療行為を毎日見つめさせることは、心を「もうくたくた」な消耗状態にさせている。

子どもが亡くなったとき「ああ、なんか、終わった」という安堵感を母親にもたらした。と。

しかし、その後この母親の心の平穏はきっとまだ訪れないのですね。10か月間の強烈な闘病生活の中から抜けだせなくなっているのでしょう。いつまでも繰り返される罪悪感と苦痛。

このような母親の心理状況は、突然死や事故死を経験した方に多いと私は考えています。

誰しも考え方は同じではありませんが、その時、精一杯考え判断したことに間違いはありません。

例え自分が罪だと感じることでも、誰がその罪を責めることができるでしょうか。神さえもそれを責めることはできないと私は思うのです。もし、苦痛が心の中を支配しているのなら、その苦痛は誰もが最善を尽くし、精一杯生きたという焼き印のようなものだと思うのです。その焼き印は今は熱く痛みとして感じても、いつか瘢痕化して心の中に残るのでしょう。

それはいつまでも熱い痛みではなく、痛みのない瘢痕として誰かに話せるようになるのだと思うのです。

そうしてようやく囚われている何かに心が解放されるのだと思うのです。

                     つくば国際大学  塙恵子