古い記憶の中で

皆様こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

私は毎年恒例の病院実習で学生を引き連れて各病院を廻っております。

この写真は、5月に我が家の庭で咲いた牡丹の花です。大輪になると直ぐに首が垂れてしまうので、切り取って水盤に活けております。もう25年も我が家の庭に根付いている老木ですが、毎年5~6輪の花を咲かせてくれています。

この時期のなるとある思春期の少年を思い出します。

もう10数年程前になりますか、私はある16歳の少年を知りました。彼は大人になるにはまだ幼く、子どもというよりは大人に近い、大人と子どもの間の微妙な年齢でした。思春期真っただ中の少年は白血病の末期でした。

私がICUで勤務していた時に病状が悪化し、ICUで管理するかどうかその少年の意向を医師が確認しました。少年はICUに入ることを拒み、最後まで個室で過ごしました。少年は白血病と告知を受けてから誰とも口を利かず、何も話さない少年でした。少年の父親は「子供はこの子だけではありませんので」と殆ど面会には来ませんでした。母親は面会に来ていましたが母親とも何も話をしませんでした。臨床心理士が入り心のケアを行っていましたが、結局誰にも心を開くことなくこの世を去ってしましました。

最後はご家族が間に合わず、病院の医師と看護師に看取られて天国へ旅立ったと聞いています。

人は大切な人の死を知った時、耐えられない悲しみであればあるほどその悲しみから遠ざかろうとすることがあります。これは自己防衛反応だと私は考えています。関わらないことで悲しみを感じたくない、その苦しみから逃れたいと思うことで自身の心を保っているのですね。人によっては、その事実を忘れ去ろうとすることもあります。そうして心の均衡を保てるのならばそれも致し方ない事なのかもしれません。

死にゆく人々の心のケアを生涯の仕事としたキューブラ・ロスは、「死ぬ瞬間の子どもたち」という著書の中で、癌末期のある思春期の少女についてをこう書いています。その少女は看護師にいつも「私が死んだらどうなるの?死んだらどこに行くの?」と質問しては困らせていたと書いています。看護師達はなるべくこの質問から避けてうやむやにしていました。看護師達は「本当になんて子なの。どう話していいかわからない。」と困り果てていたと言うのです。キューブラ・ロスは、この子は純粋に分らないことを聞いていて、死という全く想像がつかない恐怖を誰かと話し合いたいと思っている。ただ誰かと話したがっているのです。と言っています。もしかしてあの少年も、死という全く未知の恐怖を誰かに話したいと思っていたのかも知れません。でも、口にすることができない程の恐怖があったのかも知れませんね。

医療者は時にこのような重い気持ちを受け止めきれないことがあります。医療者も自分の心の均衡を保つために、時に忙しい業務に没頭してしまうことがあります。それもまた自己防衛反応なのだと私は思うのです。

                                  つくば国際大学 塙恵子