大学日記

皆さん、こんにちは。

寒さが厳しい毎日ですが、少しずつ春の足音も聞こえてくるようになりましたね。

大学の桜の木々がまだ小さな蕾を持ち始めました。

例年ですと3月中旬ごろから下旬ごろには咲いてしまうので、卒業式にはまだ早く、入学式には散ってしまうという残念な結果になってしまします。今年はいつ頃咲き始めるのでしょうか。

桜が咲いて葉桜になるころには、看護学科の実習が始まります。

緊張して始まる実習でも、8月頃になる慣れてきてか学生たちにも少し余裕が出てきます。

病院実習では、患者さんたちに触れることや話をすることで、看護師となる覚悟が生まれてきます。そして、

少しずつ看護師としての自覚が芽生えてくるのですね。これは教科書からでは決して学べないことだと思います。

看護師の「看」という漢字は、手をかざしています。昔看護学の先生から、看護師は「手」が重要であると教わりました。

手で触れて、手で支える、これが看護師の基本なのですね。新型コロナウィルス感染拡大の中にあって他人と触れ合うことが

遮断された時期であっても、看護師は病める人々に手で触れて、手で支えることをやめません。そして患者さんの声に耳を傾けることをやめないのです。でも、現在は素手で触るというよりも、ビニールの手袋をして触られる方が安心するという方の方が多いのでしょうか。手のぬくもりも看護だと感じる私としては、少々世知がないなと思わざる負えません。

昨年度の教員研修会で、近年の若者は「自己決定」が希薄であるというデータがあるというお話を聞きました。自分で決めることよりも、他人に決めてもらってそれに従うという、従順性が高いというのです。こうしたデータに裏付けされるように、社会的な闇が生まれてくるのでしょうか。

自分で判断しない、できない若者が育ってきてしまった背景には、教育が大きく関係しているのだと私は思います。

看護学は看護師を育成する学問ですから、看護師になった時に判断ができるような教育を行います。勿論自己判断ではなく医療チームの判断を仰ぐことが前提ですが、患者さんからの発信されるあらゆることが何も分からないでは通用しません。ある程度の判断能力が必要となります。それは判断する材料を、まさに手で触れて、話を聞いて小さなことでも拾い集めてくる能力になります。そうして判断材料を多く集めた看護師ほど優秀な看護師へと育っていきます。

私たち教員は、そんな看護師の卵たちを育てていかなければならないと思っています。

                                  つくば国際大学 塙恵子