仏様の指

皆様こんにちは。すっかり春めいてきましたがお変わりありませんか?

2月のSanaの会では、お香作りワークショップを開催しました。

この写真はその時作成したお香です。Sanaの会に参加して頂いているお母様が、講師として教えてくれました。こんな可愛らしいお香ができるのですね。

匂いは自分の好きなものを選ぶことができるので、私はジャスミンの匂いを選びました。 とってもいい匂いで癒されます。香りが少し弱くなったら、火をつけて香を焚くそうです。ママたちが作った色々なものがお空に行ったお子様に届くように、時々ワークショップを開催しながら、Sanaの会を開催していきたいと考えています。

今回講師をしていただいたお母様は、とっても可愛らしいお地蔵さんも作成しています。 そのお顔に癒されます。

さて今回は、大村はまという一教員の書いた「教えるということ」という本についてです。

この本は、大村先生が生涯一教師として子どもたちに接してきた中で見つけたものを講演会でお話しされた記録本になります。

先生はこの本の中で、教師の本懐は「仏様の指」である。と言っています。それはそどんな意味があるのでしょうか。

 仏様がある時道端に立っていらっしゃると、一人の男が荷物いっぱい積んだ荷車を引いて通りかかります。そこにぬかるみがあって、男の荷車がぬかるるみにはまってしまします。男は何とかぬかるみから出ようと必死で荷車を引きますが、ちっとも動かない。いつまでたってもどうしても動かない。それでも必死で汗をびっしょりかきながら荷車を引く。その様子を見ていた仏様は指でひょいっと荷車の後ろを押します。男の荷車はぬかるみからようやく出ることができました。男は「仏様の指」でおしてもらったことを永遠に気づかなまま、自分の力で抜け出した達成感に喜びながら、再び道を進んでいきます。

大村先生は、この「仏様の指」こそが教育であると言っています。

この荷車を引いていた男は、自分が努力してやっとぬかるみから出たということに達成感と喜びを感じるのですね。仏様は決して自分が行ったことに見返りを求めない。男が努力して味わう達成感こそが仏様の望みなのですね。

日頃学生に対して「これだけ教えているのに」とか思ってしまう私にとっては、自分が行っている教育に見返りを求めているのだなと、身に積まされる思いです。

このお話は、教育だけでなく、人と触れ合う全てのことに当てはまるように感じています。

例えば親であれば、我が子が自分の力で生きていくまでには、どれほどの親の力が大きく働いているかしれません。しかし毎日の生活の中で、それに気づく子はそれほど多くはないように思うのです。まさに親とは、「仏様の指」のような存在なのでしょう。

例え幼くして天国へ旅立ったとしても、その時まで精一杯病気と闘い、生きたという努力は、その子がこの世で精いっぱいやり遂げたという思いとなるのでしょう。そして天国へ見送られた方々もまた、「仏様の指」の様に我が子を守り助けてきたことで、我が子が成し遂げた思いを誇りに思うことでしょう。そしてそこには、全ての愛の礎となる見返りのない愛があるのです。

                          つくば国際大学 塙恵子