日本の天使パパさん

皆さんこんにちは。

台風13号の影響で、9/9(土)のSanaの会を中止にするか悩みましたが幸いにも台風が去ってくれたおかげで、無事開催することができました。参加者は3名の天使ママさんたちでした。次回は11/18(土)13:00~開催したいと思います。

お子様がいる方で参加ご希望の方は、ママさんやパパさんがSanaの会に参加されている間、お子様を学生ボランティアがお預かりいたします。申し込みの際にご遠慮なくご希望ください。天使パパさんたちのご参加も心よりお待ちしております。

 さて、今日はそのパパさんたちのお話です。

古くより人間は家族単位で生活をしています。家族と認識して暮らす風習は、原始時代より始まっていると言われています。類人猿と言われる種は、粗野で人間らしい心に欠けていると思われがちですが、亡くなった家族へ花を手向けるなどの慈しみと死生観があったことが分かっています。その時代から「大切な家族」への愛情があったのですね。

狩猟を行う男たちは、家族を守るため種を存続するために骨格と筋力が女性よりも発達したと言われています。

男たちは家族の長であり、社会の中で家族を守るために戦ってきたのでしょう。現在の男性もそうでしょうか。

 ところで、私の祖父の話になりますが、祖父は大正生まれで頑固な家長でした。その当時家長制度は全国に根強いていて、その家の長男が必ず跡取りになることが定められていました。この制度はどの家庭でも暗黙の了解で行われていたと思います。その陰で女性の地位は低く、同じく大正生まれの祖母の戸籍には「無能力者」と書かれていたと言います。男尊女卑の社会は戦後しばらく続きます。現代の若者には信じられない話でしょうか。

そんな社会の中で、男子、特に一家の大黒柱となる長男の責務は甚大でした。すべての責任がその肩に載るのですから。教育も男子と女子ではその差は歴然としていました。女子に教育はいらない、家事一般ができれば良いのです。

男子は一家を養うために、強くたくましくあらねばならない。泣くなんて女の腐ったのだ!祖父は叔父たちにそう言い聞かせて育てていたと母は言います。母は子ども心にも、女の腐ったの!とはどういう意味なのかと考えたといいます。そんな時代があたのですね。それは私の一族だけの珍しい光景ではありません。誰もがそのような中に生きていたのです。その風習は今もなお続いていることがあります。そのため一家の大黒柱と考えるパパさんたちは、決して人前では泣かず、愚痴もこぼさない、悲しみを語ることもないのですね。Sanaの会を立ち上げて2年が過ぎようとしていますが、天使ママさんの参加人数は延べ20人程になりますが、パパさんの参加は1名だけです。誰かに話したいと思うこともあるのでしょうが、未だ男尊の習慣が社会全体にすり込まれていて消えることがないのでしょう。子どもを亡くした父親の方が、誰にも話せない分、精神的に不安定になると私は考えています。精神的に不安定な状況下で社会的なストレスが加わることで、鬱や不眠、アルコール依存、心臓病など様々な症状を引き起こす危険性があると考えています。

誰かに悲しみや苦しみを話すことは、決して恥かしいことではありません。人前で泣くことは、決して恥ずかしいことではないのです。子どもを亡くした喪失悲嘆は一人では解決することができないほ程の悲しみです。その悲しみは、子どもを亡くした人が同じように感じている悲しみでもあります。その悲しみを共感することで、大切な人を失って感じる何とも言えない心の空虚さから少しづつ解放されていくことができるのです。

                        つくば国際大学 塙恵子