皆さま こんにちは。
台風10号の影響で大雨になっている茨城県ですが、皆様お変わりはないでしょうか。
大学はまだ夏休み中ですが、前期期末試験の再試験期間のため、再試験の学生たちは夏休みどころではないようです。
さて今日は、ビクトール・フランクルという人のお話を書いていこうと思います。
フランクルは、ドイツの精神科の医師になります。この方の著書はあまりにも有名で、高校の哲学の授業で良く題材になるほどです。皆様も良くご存知かもしれません。私のブログでも何回かご紹介しました。
フランクルは、アウシュビッツ収容所の生き残りとしても有名です。アウシュビッツ収容所での体験を書いた著書「愛と死」が有名になったのですね。フランクルがアウシュビッツ収容所に送られたのは36歳の時だったと言います。両親と兄、妻はそれぞれ別の収容所で命を落としたそうです。フランクルは、アウシュビッツ収容所から出るまで、家族の生死が分らなかっといいます。
フランクルはこの極限の状態の中で、人は死だけを考えるか、生きることだけを考えるかに分かれると言っています。死だけを考える人は毎日絶望の中で生き、生きることを考える人は愛する人のためにいかに生き延びるかを毎日神に祈り続けたと言います。
神への祈りが希望に繋がっていくのですね。神への信仰心がある人々は、決して絶望せず、常に希望を持ち続け、例え命が尽きたとしても神の元に召される喜びを感じていたと言います。そこにはアウシュビッツ収容所で共に過ごした人々との繋がりと神への信仰心が、自分一人ではないという心強さと安心感をもたらしていたのだと思うのです。フランクルは自分が生きている意味は、愛する母親が息子の死を悲しまないようにすることだけだったと言っています。
看護師だった私は、様々な子どもの死に立ち会いました。産まれてすぐに亡くなってしまったこども達、何万人に一人という特殊な病気で亡くなった子ども達、長い間病気と闘い続けついには力尽きてしまった子ども達。でもその子ども達は皆、生きるために必死でした。ただ、ただ生きるためだけに生きていたのです。例え力尽きて倒れても、例え短い人生であっても、その生きる力は誰かに生きる意味を教えてくれているのだと思うのです。人が生きる意味は、自分のためだけではないのですね。誰かのために生きる。愛する人が悲しまない様に生きる、そんな意味もあるのだと思うのです。そうしてとても大切な何かを残していってくれているのだと思うのです。アウシュビッツ収容所で亡くなっていった人々の中には、子ども達も大勢いたと言います。ただユダヤ人というだけで命を奪われた人々は、後世の私達へ大切なものを残しっていってくれたのだと思うのです。そう考えれば愛する人の死は、決して悲しみだけではなく、大切な何かを教えてくれているメッセージもあるのだと思うのです。
つくば国際大学 塙恵子