医療者の責務

皆様、こんにちは。

少しづつ冬の足音が聞こえてきそうなこの頃ですが、お変わりはないでしょうか。

私事で大変恐縮ですが、先月体調を崩し入院生活を余儀なくされました。年も年なので何かと病気が発覚するようですね。皆様も他人事と思わずに自分自身の健康をもう一度見直してみてください。

さて、今回は人生初の入院生活について書いていきたいと思います。

外来を受診してそのまま帰宅困難となった私は、「今日家には帰せません。即入院です。」の医師の一声で、あれよあれよという間に、気が付けば個室のベッドの上で点滴に繋がれていました。その様子は、まるで「まな板の鯉」でした。入院準備など何もしていない状況だったので下着もパジャマもない、何もない着の身着のままの状態でした。しかし、そんなことよりも、「もしかしたらこのまま死ぬかもしれない。」という恐怖心の方が勝っていたように思います。ネットで病気を検索しまくり、おおよそのことがわかると更に恐怖心が加速しました。悪い病気ではないが死ぬかもしれない、もっと重症になるかもしれないというネットのささやきに私の神経はだいぶいたぶられました。飾り気のない白い天井を見つめながら、心の救いは医師の姿と看護師さんの言葉だけでした。私は看護師時代に医師の存在をこれほどまでに心強く感じたことはありませんでした。「患者さんもご家族も、きっとこんな風に医師に依存していたんだろうなあ。」と感じたのです。「私はきちんと患者さんとご家族に向き合うことができていたのだろうか。」とそんなことを考えていました。

皆さんはどうだったでしょうか。大切な我が子を救ってくれる唯一の存在。そんな風に感じたことはないですか。

ただそこには、主従関係が存在しました。病院の医師はじめ看護師さんたちは主で、私は従の関係なのですね。

それが嫌だったわけではありません。むしろ私は安心していました。誰かに依存して生きることはとても楽な生き方だと思うのです。その対比にある医療者は、かなりの重責を担います。寄りかかられる命の重さをその肩に感じているのですね。特に医の倫理を担う医師達は、改めて大変な重責を担っているのだなとしみじみと考えていました。その反面、医の倫理を担わない医師達は、この重責をどう感じているのだろうかと、ふと考えてもみました。医療者の世界は決して盤石な世界ではありません。患者の命と向き合う人々や、自分の命を削っても救おうとする人々、初めから目を背ける人々、自分の生活の方が大切な人々、いろんな人がいます。しかし、私達患者は、いつも医師や看護師の一挙手一投足を伺っていることを忘れてはならないと思うのです。そしてそこには、医師や看護師に命を預ける人々が大勢いることも決して忘れてはならないと思うのです。

                               つくば国際大学 塙恵子