苦悩の意味

皆さま、こんにちは。

段々と冬らしくなってきましたが、秋が短く冬も短く、暑い夏が長くなってきているような、そんな気がしています。

皆さまはお変わりないでしょうか。

12月から学生実習が始まる関係で、12月にブログが書けないなぁ、との思いから少し早めに書いています。

さて、私はビクトール・フランクルが好きで良く書籍を読みますが、その中に苦悩の意味という章あります。

本日はそのことを書いていきたいと思います。

フランクルは、なぜ生きているのか、生きる意味は何か、なぜ苦悩するのか、という永遠の問いに対して「まさに人間における最も人間らしいものの表現である。」としています。つまり人間にしか問えない問題だと言っているのですね。我々人間も動物の一種であることに違いはないのですが、他の種と違う点は、苦悩する心があることだと言います。人は生きている限り苦悩と対峙します。苦悩の中に生きていると言っても過言ではないでしょう。生まれてから死ぬ瞬間まで、一度も苦悩を感じたことが無いという人は、おそらくいないのではないでしょうか。それが大なり小なり、いかなる理由であれ、その人にとっては苦しみ悩むことなのですね。大切な人を亡くした時、人はどうして私だけがこんな苦しみを味わうのかと苦悩します。悲しみが深ければ深いほど、それは苦しみに変わっていくのでしょう。私達はそれをスピリチュアルペインと呼びます。このスピリチュアルペインはまさに人間だけが感じる感情なのです。フランクルは「失った人間を悲しむことは、彼を何らかの形で生き続けさせるのである。中略。悲哀の対象は主観的には、すなわち内的時間においては、保存されているのである。」と言います。少し難しいですが、つまり死別による苦悩の中にいる時、亡くなった人を想い続けることで、自分の中に確実に保存され続ける。ということなのです。死別によっておこる苦悩は、その人を記憶の中に留まらせるためにある。ということなのだと思うのです。亡くなった人を想うとき、悲しみや後悔、辛い思いだけではなく、楽しかった思い出や、こんな表情をしていたな、とか、こんなことが好きだったな、こんなこともしたよね、とう思いでを蘇らせることで、故人が残したメッセージを受け取ることが出来るようになると思うのです。それは、今まで気づきもしなかった事や考えもしなかったことを考えるきっかけになるように思うのです。そしてもしかしたらそれは、自分にとって大切な何かを見つけさせてくれているのかも知れないのです。例え短い人生であったとしても、「その時精一杯生きた」という証は、悲しいだけの人生ではなく、苦悩に満ちた人生だけでもなく、良き思い出となってとても大切なものとして残っていくのだと思うのです。そうして少しずつ考え方を変えていくことで、自分自身のスピリチュアルペインから解放されていくのだと思うのです。

                                          つくば国際大学 塙恵子