死別との葛藤

こんにちは。

茨城県でも、新型コロナウィルスの感染拡大が問題になっている今日この頃ですが、  1に手洗い、2に手洗い、3、4も、5も手洗いで、乗り切りましょう!

さて、今日は数年前にスピリチュアルケア学会に参加した時に聞いた、他県で活動されている「子どもを亡くした親の会」主催者のお話を紹介したいと思います。

あるお子様を亡くされたお母さまのお話でした。

その方は、ある日突然交通事故でお子様を亡くされ、悲しみに暮れる毎日で、外へ出る気力もなくしておられたそうです。突然何の前触れもなく襲いかかる子どもとの死別、

突然の死を受け止めることができず「多分これは何かの間違いだ、ついさっきまであんなに元気だったのに、そんなはずはない、みんなが私に嘘を言ってる。あの子はどこかで生きていて私に会いたがっている。」と感じていたそうです。

実は、病院で闘病後に死別した遺族の方でも、病院を離れてからもまだ、あの病院のあの病棟に入院していて、治療をしている様に感じると言われる方々がおられます。亡くなって身体が荼毘にふされても、未だに病院に入院しているようなそんな感覚に捕われるのですね。この感覚は、愛する人の死別という悲しみから自分を守るための、自己防衛手段の一つであると私は捉えています。

しかし、時間が経つにつれて現実が見えてくるのですね。もう二度と戻らないという現実を受け入れなくてはならない。     頭ではわかっていても心が受け付けない、心がその現実を拒絶するのですね。私は臨床でこんな言葉を聞いたことがあります。

「あの子は私の子どもと同じ年であんなに元気なのに、どうして私の子どもは死んでしまったのでしょうか?」と。

人は時に、自分に課せられた荷物が、あまりにも重すぎて背負いきれないと感じることがあります。だから同じような年代の子どもを見たり、人に合って話をしたりすると、重く過酷な現実に「どうして私だけが、どうしてあの子だけが」といった答えのない、

とりとめもない葛藤を繰り返してしまうのでしょう。そうしていつの間にか外に出たくなくなってしまう、人と関わること自体も絶っていってしまうことになるのです。

この方も何年も家の外に出られない状態が続いたそうです。しかしある日、その方のお子様が通っていた小学校の先生からお手紙を頂いたそうです。

「もう何年も咲かなかった、○○さんが植えた花の球根が今年ようやく校庭の花壇で咲きました。」という内容であったそうです。

その時その方は、ああ、これはきっと「お母さん、私が花を咲かせたから、そろそろ外に出ておいでよ。」と、亡くなった子どもが、私に言っているのだなあと思ったそうです。そうしてこの方は学校へ出向き、その花を見て、やっとご自分が受け入れなくてはならない現実と向き合うことができたと言うお話でした。

人は何かの出来事と悲しい現実を結びつけながら、その意味を考えようとします。そうして、その現実を直視するきっかけを見つけ出しているのです。

この方は、何年も咲かなかった花が咲いた出来事と、亡くなった子どもを結びつけ、自分を心配して外に出ておいでと言って花を咲かせたのだとその意味を考えることで、花を見に行こうと外へ出るきっかけを見つけることができたのです。そして悲しい現実を受け入れることができたのでしょう。

きっかけは些細な出来事でも、故人とその出来事を結びつけることで、悲しみが癒されることがあります。前向きに物事を捉えることができるようになるのですね。そうして少しずつ故人との新しい関係性を見出し、愛する人の死を受容していくことができるようになるのです。

私はまだ、みな様にお会いすることができておりませんが、そんな些細なきっかけを見つけることができるお手伝いができるような、そんな「sanaの会」になればと思っております。 

                          

                          「sanaの会」主催者 つくば国際大学医療保健学部看護学科 塙恵子